○1. 今号は、12月・1月合併号です。
12月中旬に年初オープンの案件等が動き出し、あれよあれよという間に12月25日になってしまい(当社は12月25日で業務終了で28日は午前の清掃だけでした)やむなく変則的な合併号になってしまいました。
どうかご容赦ください。
2月号から20日発行に戻しますのでよろしくお願い致します。
さて
今回は新年合併号ということもありますので、テーマを変更して
「年頭に思うこと」
にさせていただきます。
私が子供のころ(といっても昭和31年生まれの53歳ですが)の新年というのは、今よりもずっと明るく、希望に満ち溢れていたような気がします。
田舎育ちの私は受験勉強に追われることなく、のんびりと好きなことしながらのびのびと育っていったような気がします。
まわりの大人たちも、高度経済成長の時代の中で、今日よりも明日の方が良くなるという確信があり、今のようにぎすぎすすることなく子供の目から見ても、もっとおおらかでした。
いつの頃からでしょうか。
子供たちの目に希望の光が無くなり、大人たちはうつむき加減で、今日よりも明日のほうが更に悪くなるのではないかというおそれを抱きながら生きるようになったのは。
○2. 今、中国の国民の表情を見ていると、何十年か前の日本人に良く似ているような気がします。
北京オリンピックがあり、上海万博があり、公害があり、夢があり、成長神話があり・・・
自分たちに不況など起こりえないというまったく根拠の無い自信。
子供たちには夢と希望があり、大人たちには経済成長がもたらす富があり、まさに第二次大戦後に急成長した日本社会に生き写しです(政治体制はまったく異なりますが)。
本当にデジャヴの感じです。
高度経済成長を経験した我々にとって、今の日本経済のありさまは、想像の範囲を遥かに超えています。
一体どうしたんだろう。
なぜこうなってしまったのか。
理由は色々とあるでしょうが、こうなってしまった以上、過去の栄光の感傷にひたっていても仕方がありません。
個々の問題というよりは、今、日本はパラダイムの変換を求められているのではないでしょうか。
1月3日から、NHKで大河ドラマ「龍馬伝」が始まりました。
まさに今、日本は幕末維新あるいは第二次世界大戦敗戦時と同じような状況にいるのではないでしょうか。
○3. 既存の価値観がすべて崩壊し、今までの知識や経験が使えなくなり、ゼロからすべてを立て直す時期に来ているのかもしれません。
混沌の中からの再起、廃墟からの復活、今日本に求められているのはそのようなものかも知れません。
そういえば、私たちの親の世代は、戦争、そして敗戦を、さらに戦後の混乱の時期を、逞しく生き抜き、さらには絶えざる努力で高度成長を成し遂げた人達です。
その子供(あるいは孫)たちである我々以下の世代は、戦後の混乱が落ち着き、曲がりなりにも生活が安定し、経済は普通に右肩上がりで成長していくものであると思っていました。
しかも成長期から青年期にそのような体験をしたために抜きがたく成長神話、成功神話が身に染み込んでしまいました。
大正生まれの商売人で、特攻隊上がりの私の父がよく言っていました。
おれは戦争中は「死」と隣りあわせだった。
戦後は何も無いところから裸一貫で商売を始めてここまでやってきたが、もし明日会社が潰れても何も怖いことは無い。
またゼロからやり直せば良いだけだ。
簡単なことだ。
私はそのバイタリティに畏怖を感じたものでした。
今、私たちに必要な「気概」とはそのようなものである気がしてなりません。畏怖しているばかりでは仕方がありません。
マイナスをものともせずプラスに変えていく気概。
あなたまかせでなく、政治に頼るのでなく、既存の価値に頼ることなく、自分の知恵と努力で「道」を切り拓いていく、そんな人達が社会の色々な階層で増えていけば日本経済も回復してくるのではないでしょうか。
グローバルな市場を相手にしているか否かに係わり無く、単純で工夫が無く、特別な付加価値の付かない仕事は早晩消えて無くなっていくでしょう。
今の社会の状況や構造、そして流れていく方向性を広く深く見つめ、時代に求められているものは何かを試行錯誤で見つけ出し、自分たちにしか出来ない仕事をどのように構築するか、切に求められていると言えるでしょう。
羅針盤が無く、混沌としたこの世の中で「俺たちはゼロからやり直せば良いだけだ」そんなバイタリティにあふれた気概をもってこの一年を進取の精神で生き抜いていきたいと思います。
希望に溢れ、活気ある一年となりますように。
今回もお読みいただき誠にありがとうございました。
今年一年、何卒よろしくお願い申し上げます。
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○【次号予告】 次回2月号は、「逆境に生きる 8」です。